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特別お題「『選択』と『年齢』」我が人生60年の『選択』と『年齢』は如何に!?

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我が人生60年においては,さまざまな状況の選択とそれに伴う年齢という相関関係があ

りました。あたかも予感的な選択もあれば,運命を劇的に変えた選択もあり,もちろん

その時の状況的な選択もありました。ココでは,それらの選択について,年齢とともに

思い返していきたいと思います。


さまざまな状況の選択とそれに伴う年齢という相関関係とはナニ?

60年という比較的長いスパンで考えると,さまざまな状況の選択とそれに伴う年齢とい

う相関関係がありますが,我が人生における選択に当たっては,大きく分けると予感的

な選択,運命を劇的に変えた選択,状況的な選択という3つの選択がありました。

 

そして,その3つの選択の中で,その選択に伴う年齢という相関関係もありました。

 

ただ,選択に伴う年齢という相関関係には,その年齢が必然的な年齢の場合もあれば,

たまたまその年齢であったという場合もありました。

 

また,選択に伴う年齢には,自分では決断しかねる子ども時期の年齢もあれば,自分で

即断できる大人時期の年齢も当然ありました。

 

 

では,次に,さまざまな状況の選択とその際の年齢について思い返していきたいと思い

ます。

 

我が人生60年において予感的な選択とはナニ?

まず最初の予感的な選択は,小学校4年生の時でした。年齢で言えば,10歳の時です。

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この上の画像についてですが,僕はその時,自転車に乗っていました。

 

A地点で,左側を見ると50mくらい遠く離れたところからこちらに向かって走ってくる

トラックが見えました。

 

その時点でボクは,何とも言えない恐怖感をそのトラックに対して感じました。

 

そこで,当時から歩道を自転車で通る習慣がなかった10歳のボクが取った行動は,B地

点のように,車と車の間に自転車を入れてトラックが通り過ぎるのを待つといった行動

でした。

 

ただ,この時点ではトラックはまだこちらに向かってきていませんでしたが,当時,何

かしら恐怖を感じたボクが取った行動が,そんな感じでした。

 

そして,その後,トラックは予感通りに,こちらの方にやって来ました。

 

悪い予感の的中でしたが,10歳ながらも事前に車と車の間に自転車を入れて待っていた

当時のボクは,少し避ける準備をしていたので,何かしら感じた恐怖も通り過ぎていく

のではないかと思っていました。

 

案の定,トラックは,ボクの目の前を通り過ぎていきました。

 

ところが,次の瞬間,トラックの後部の荷台に積んであった丸太ん棒のひとつが,ゴロ

ンゴロンゴロンと荷台を斜めに転がってきて,その丸太ん棒の先っぽがあっという間に

ボクの右耳の後ろあたりに直撃したのでした。

 

わざわざ車と車の間に自転車を入れて止めていたにも拘わらず,その丸太ん棒が斜めに

転がってきた為に,ボクの後頭部を直撃したのでした。

 

ボクは当然のようにその丸太ん棒の転がり方の勢いに巻き込まれるような感じで吹っ飛

ばされるようになったのですが,このあとが不思議でした。

 

ボクは車と車の間に入って自転車を置いていたわけですから,今述べたような状況で

は,吹っ飛ばされる際は,前の車にぶち当たるような感じで吹っ飛ばされるはずでした

が,ナ・ナントその時ボクは,丸太ん棒に巻き込まれるような形で前の車にぶち当たる

ことなくそのトラックの過ぎ去った後ろの方に,遅れるような感じで吹っ飛ばされたの

でした。

 

しかしながら,とても悔しいことに,ボクを吹っ飛ばしていった丸太ん棒を積んだトラ

ックの運転手は,吹っ飛ばされたボクに気づくこともなく通り過ぎ去って行きました。

 

とても悔しかった思いを記憶していますが,これまた不思議なことでしたが,吹っ飛ば

されたボクは泣きながら家に帰ってそのあと母親に外科に連れて行ってもらいました

が,擦り傷も打撲も一つもケガはなく,その上,吹っ飛ばされた自転車もどこも壊れて

いなかったのでした。

 

これがボクの最初の予感的な選択とその時の年齢です。


ボクには,もう一つ予感的な選択があります。

 

それは,ボクが25歳になる年のことでした。(当時はまだ24歳でした。)

 

その日はいつものように車で帰宅していました。

 

職場が実家(当時は実家に住んでいました)から20km離れ,しかも仕事開始が朝の6時

の時もある為,車で通勤していました。

 

そして,その日は,これもいつものように仕事がなかなか終わらず,帰宅していたのは

夜の12時近くだったと思います。

 

いつものようにいつも通る道路(1車線ずつの道)を家路に向かって運転し,家まであ

と5分くらいの所を通っている時のことでした。

 

遠く何百メートル離れているかは分かりませんでしたが,対向車線にかすかにライトが

見えたその時でした。

 

感じたんですねぇ。あの小学校4年生の時に感じた何とも言えない恐怖感を。

何とも言えない嫌な感じでした。

 

対向車線ですから,相手の車は時間がたつごとに僕の車の方に向かってきました。

 

ボクは相手が遠くにいる状態の時に,何とも言えない嫌な感じや恐怖感を感じたのです

から,途中で相手の車を避ける意味で,左折したりとかして進路変更できる可能性もあ

ったのですが,その時は嫌な感じや恐怖感を感じてはいたものの,確信的な思いは持て

ていなかったので,そのまま実家への最短コースでその道路を運転していきました。

 

今思えば進路変更しておくべきだったと後悔しています。そうすれば・・・

 

だんだんと相手のライトが大きく見えてきて,車の形も見えてきたその時でした。

 

距離的には2,30m離れていたと思いますが,ナ・ナント,相手の車がクネクネと突然,

蛇行運転を始めたのです。

 

「うわ-」っとボクは思いました。

 

「えー,このまま,相手の車,通り過ぎていくんだろうか!?」って感じでした。

 

しかし,こんな気持ちを感じていたその瞬間でした。

 

距離としては,5m前後だったんじゃないかと思いますが,はっきりはわかりません。

 

その瞬間,その相手の車が中央線をオーバーして僕の車の正面に向かって突っ込んでき

たのでした。

 

正直,その時は相手の運転手の姿が見えました。顔の表情までは見えませんでしたが。

 

ぶつかる瞬間,ボクは最悪なことに,中央線側にハンドルを右に少しきりました。

 

たまたま相手の車に後続車がなかった為大事には至らなかったんですが,運転手として

は,ボクは最悪なことをしたのではないかと今でも思っています。

 

結果的には,それが幸いしてか?ボクは小学校4年生の時と同じで,まったく,ケガを

しませんでした。

 

ただ,ボクが運転していた車は,さすがに相手の車が左側の前にぶつかって大破したの

で,そのまま運転することはできませんでした。

 

相手の車はどうかというと,僕の車にぶつかったあと,そのままガードレールの方に行

き,ガードレールにぶつかって大破していました。

 

相手の運転手がどうしたか見に行くと,フロントガラスは割れていましたが,意識はな

んとかあるようでした。

 

結局この事故の原因は何であったかというと,相手運転手の『未成年飲酒居眠り運転』

というとんでもないことで,ボクにとってはありがた迷惑の事故でしたが,今思えば,

これがボクにとっての予感的な選択であったと思っています。

 

実は,かなりの恐怖を感じてからは,ボクの車線の一番左側を通って,何か起きてもな

んとか対応しようと心の準備をしていたからです。

 

本当は,予感的な恐怖感を感じていたならば,事前に回避行動を取ることが出来たなら

一番良かったのですが,それをしなかったボクは最悪なのかもしれませんが,それで

も,予感的な選択をしていたからこそ,最終的には,自分には車の損傷はありました

が,身体へのダメージは何もなかったんだと思っています。


我が人生60年において運命を劇的に変えた選択とはナニ?

運命を劇的に変えた選択なんですが,意外とこの選択は,ボク的には多いと思うのです

が,ある意味,客観的には,「それ,運命を劇的に変えた選択じゃないやん!!」とか言

われそうですから,その選択に値しない時は,本当に申し訳ありません。

 

さて,第一に運命を劇的に変えた選択は,出会い選択でした。年齢は21歳の時でした。

 

当時ボクには,生まれてこの方,彼女がほしいと思いながら,決して「彼女」はいませ

んでした。

 

もちろん機会はいろいろありましたが,すべて「ごめんなさい。」で終わっていました。

 

そこで,ある時,大学のサークルの先輩から合コンに誘われました。

 

しかし,その頃はバイトもしてまして,先輩から誘われた合コンの日はバイトの日だっ

たので,誘われた合コンには行くことができませんでした。

 

数日後先輩に会った時,その合コンのことを尋ねると,相手の都合で延期になったらし

く,ラッキーなことにその延期になった日はボクのバイトも休みだったので,僕は合コ

ンに参加させてもらいました。

 

するとそこに「彼女」がいたんですね。

 

はじめはその彼女,すごい茶髪で・・・

 

当時,僕らの時代に茶髪の子と言えば,今でいうヤンキーでしかなく,「うぉー,すげ

え茶髪だ!!ヤバイ。」が第1印象でした。

 

ところがその彼女は,話していると,とても素朴で純粋な感じの女性で,しかも,その

茶髪は外国人でもないのに地毛だったんですね。

 

このことには,本当に驚きましたし疑いましたが,結局,本当のことでした。

 

終わりの頃には,ボクはその彼女が気に入ってしまったんですが,当時のボクには「彼

女」がいた経験もなかったので,今ひとつ積極的にもなれず,結局,合コンが終わるま

でに,その彼女にアタックなんてまったくできずに終わってしまいました。

 

とはいえ,彼女が当時看護系学校の寮に入っていたので,当時のボクにしてみれば信じ

られない勇気だったのだと思いますが,ちゃっかり寮の電話番号は聞いていましたか

ら,次の日に彼女がいる寮に電話して,アタックしようと思っていました。

 

ところで,彼女の入っている寮までボクの当時の家から車で30分くらい離れていたので

すが,ボクはナニを血迷ったのか,わざわざ彼女の寮の近くにある電話ボックスまで行

って,そこから寮に電話することにしました。

 

わざわざそんなところまで行って,例え電話でアタックしてもフラレてしまう可能性も

大なわけでしたが,そこまで行って電話しました。

 

すると,ナ・ナント彼女は寮にはおらず,遊びに出かけているということでした。

 

とてもガックリ来て,「やっぱり,彼氏とデートかなぁ・・・」なんて思って,恋愛経

験のないボクが,あきらめモードで電話ボックスを出たその瞬間のことです。

 

「○○さん!?」とそこに彼女がいたのでした。

 

なんか映画か小説のワンシーンのような感じでとても不思議でした。

 

そして,結果的に,これがボクの最初の運命を劇的に変えた選択になりました。21歳。

 

わざわざ寮の近くまで行って電話した選択。

 

その選択のおかげで,その彼女は「彼女」となり,結局「妻」となったわけでした。

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運命を劇的に変えた選択の二つ目は,23歳になる年(当時は22歳)のことでした。

 

九州は福岡の大学を卒業したボクは,本社東京の金融系の会社に就職し,4ヶ月の研修

後,愛知県に赴任しました。

 

実はボクは大学時代に第1志望を受けていたのでしたが,そこは倍率が高く,超人気企

業だったのか?見事に落ちてしまい,次の選択として就職した会社へ方向転換していま

した。

 

そして,愛知県で仕事をしていたある日,今は亡き父が悩んだ末に電話をしてきたので

した。

 

電話の内容は,『ボクが第1志望にしていた企業から電話があって,臨時職員としての

面接をするが面接受験をする意志があるか?』というものでした。

 

なぜ父が悩んだ末に電話してきたかというと,実はボクのその頃の営業成績が,大卒同

期入社40名の中で10番目くらいで順調でしたから,今さらながら息子が第1志望として

いた企業から電話があったからといって,順調な息子を悩ますような話を話すべきかど

うかと思っていたらしいのですが,『もしその後,こんな話があったということを息子

が知ったらどうだろうか?』ということを危惧して,思いあまって電話してきたという

ことでした。

 

さすがに父から電話を受けた時は,正直,戸惑ったことを今でも覚えています。

 

当時のボクは,先にあげたように営業成績もよく順調でしたから,もう既に第1志望の

企業は眼中になく,『今さら』という気持ちをもっていました。

 

ただ,ここからがボクの『よこしま』なところなんですが,この話を聞いた瞬間ボクが

思ったことは,『「彼女」に会いに帰ろう♪』ということだったんですね。

 

ところで,その時もうひとつ,「困ったな。」とも思いました。

 

実はボクは,その電話を受ける1ヶ月前に,父親に黙って夏休暇を取って福岡に帰って

いたんですよ。実家に帰ることなく,ホテルに滞在して。

 

本当に『よこしま』なボクをボク自身が呆れてしまいますが,その上に,この話を聞い

た瞬間のボクの気持ちが『(ラッキー),福岡に帰れる!』ということですから,ある

意味,とんでもない話になります。

 

その上にとんでもない話が続くのですが,第1志望の企業の面接は電話を受けた日の明

後日でした。

 

しかし,ボクは既に夏休暇を取ってしまっていたので,福岡に帰る術(すべ)がなかっ

たわけです。

 

そこでボクは,またまた父親には黙って,会社には「父親が倒れた!」という嘘をつい

て福岡に帰ったんですね。正直,誰が聞いても『はあ~!?』という話ですよね。

 

金曜日の夜の新幹線で帰って,今度は実家に帰り,その翌日土曜日(その頃,土曜日は

休みではありませんでした)に,昔第1志望であった企業に一応面接を受けに行きまし

た。まったく行く意思はありませんでしたし,面接の内容が,「月曜日から臨時に勤め

てくれ!」ということでしたから,まったく話になりませんでした。

 

ただ,ボクはそこで,将来には『運命を劇的に変えた選択』となることをその面接の時

に言ってしまったのでした。

 

それは何かというと,「ボクは現在営業として働いていますから,月曜日から勤めてく

れと言われても無理です。1週間待ってくれるなら可能かもしれませんが・・・ですか

ら,この話は,別の方に回してください。」と。

 

面接された人事部長の方が笑って「わかりました。」と言われたので,この話はココで

終わったと思ってボクは実家に帰り,着替えて「彼女」に会いに行こうとしていたので

すが,その時,電話が鳴りました。

 

「何かな?」と思って受話器を取ると,その相手は,先ほどの人事部長さんで,「1週

間待ちますから,来てください。」という話でした。

 

『はあ~!?」とその瞬間思いましたが,その時は既に後の祭り。

 

「1週間待ってくれるなら」とか適当なことを言ってその場を抜け出そうとしたのはボ

クでしたから,このとんでもない展開に,ボクはただ,「はい,わかりました。」と言

うだけでした。

 

『うお~~!とんでもないことをしてしまった~。』と。

 

ボクは「彼女」にデートの中止を伝え,親に経緯を伝え,急遽愛知に帰ることにしまし

た。

 

そして,寮に戻ってその日から日曜日にかけてナント辞表を書き,その翌日の月曜日に

は,支店長に退職願を出したわけです。

 

何という急転直下の展開。

 

父が倒れたという嘘をついて金曜日に福岡に帰ったら,月曜日には退職願を出したボ

ク。

 

支店長をはじめ上司の課長やら会社の人たちは,「そんなにお父さん,悪いのか!?」と

当然のようになってしまい,いたたまれないボク。

 

あげくは,東京本社も含め,方々の人事課から電話が殺到する有様。

 

「退職願を出すほどお父様が悪いのであれば,急遽福岡支店に転勤させるから,辞める

な!」と。

 

ますますいたたまれなくなるボクでしたが,最後には,白状して,結局,1週間で,会

社を辞めることになったのでした。

 

実は第1志望であった企業の臨時職員の話。任用期間は,たった2ヶ月だったんですよ。

 

結局,その2ヶ月の為に順調に過ごしていた会社を辞めてしまったボクだったわけで

す。

 

『バカ』ですよね,どう考えても。

 

「嘘は泥棒の始まり。」とはよく言ったものです。

 

結局,ボクの場合も,嘘から始めて最悪の本当になってしまったという感じになってし

まいました。

 

臨時職員の話なんですが,正式採用になっていた方がノイローゼのようになってしまっ

て,復帰が2ヶ月後ということでの話だったわけです。

 

ただ,『言い出しっぺはボク』ですからね。仕方ありませんでした。

 

何だかいっぺんに全てを失ってしまったボクでしたが,その後,正式採用の方が復帰で

きず,2ヶ月の予定がさらに3ヶ月延び,結局5ヶ月臨時職員として働きました。

 

5ヶ月たった後に,その第1志望であった企業の人事の方が,「もうここでは臨時で働い

てもらうことはないと思います。どうもありがとうございました。」と。

 

『何か,でも,やっぱり,あっけなく終わったな!』と人事の方の話を聞いた時のボク

の気持ちでした。

 

そして,『次の仕事を探さないといけないな!?』と。

 

「彼女」からも『今後,どうするの?』とかも言われながらも,ボクにはその時は当て

がありませんでした。

 

無駄に10日ほど過ごし,当てもなくしていた頃,ナント掛かってくるはずもない昔第1

志望であった企業のあの人事の方から電話があり,「あの時,もうココで働いてもらう

ことはないという話をしていたのですが,申し訳ないですが,あと1年,ココで働いて

もらえませんか!?これまでの10日間も仕事をしていたことにして給料を支払いますか

ら」と。

 

有り得ないことが起こったという感じでした。

 

そして,ナ・ナント,ボクはその1年後に,昔第1志望であった企業に正式採用され,人

生60年の時が終了するまで,ずっとそこで働いたわけです。

 

しかも,しかも,本社東京の金融会社は,その後倒産して,今は存在しないのですか

ら。

 

長かったですが,ボクの2つめの運命を劇的に変えた選択の話をココで終わります。

 

ちなみに,その選択をした時のボクの年齢は,22歳でした。ボクは3月生まれなので。

 

まだまだボクの運命を劇的に変えた選択の話はあるのですが,ここまでのように話がと

ても長くなるので,割愛させていただきます。


我が人生60年において状況的な選択とはナニ?

もう随分と話が長くなったので,この状況的な選択は“カット”しようとも思いました

が,一つだけ紹介しようと思います。

 

ボクにとっての最大の状況的な選択は18歳になる年の17歳の時でした。

 

18歳になる年の17歳というと高校3年生の時のことです。

 

正確な時間は,高校3年生の,進路を決める三者面談が終わった後の,冬休みの家族会

議の時のことです。

 

三者面談は母と出席し,○○大学と□□大学と××大学を受験することになりました。

 

ところが,冬休みの家族会議で,今は亡き父が,「大学はどこを受けるのか?受かるん

だろうな!?受からなかったら,就職だからな!!」と突然言い始めたのです。

 

「ええ~!何,この展開は!?」という感じでしたが,言い出したら聞かない父でし

た。

 

「☆☆大学は受験しないのか?」

 

そこはボクの地元にある大学で,父が卒業した大学でした。

 

「うん,ボクは☆☆大学は受験しないよ!!」

 

「今から担任に電話して,☆☆大学の推薦が受験できないか尋ねてみろ!?」と父。

 

もう,ムチャクチャでした。

 

「嫌なら,就職しろ!浪人は絶対に認めないからな!!」と父。

 

ボクはしぶしぶ担任に電話しました。

 

もう三者面談が終わって,しかも,冬休みにも入っているタイミングで!

 

現在は,☆☆大学の推薦試験はかなり前に行われているようですが,当時は,まだ後に

試験が行われていたんですね。

 

「△△先生,父が☆☆大学の推薦が受けられないか尋ねてみなさい,と言っているので

すが,まだ可能でしょうか?」

 

「はあ~,今からか・・・いや,もうダメだと思うけど,確認してみよう。」と担任。

 

ボクはこの展開になった時,当然ながら,今さら☆☆大学の推薦とか間に合わないと思

っていましたし,☆☆大学よりもっと難関大学の受験を希望していましたから,☆☆大

学には絶対にいきたくないと思い,三者面談の時も,「☆☆大学だけは,絶対に受験し

ません。」と言っていました。

 

その後,担任から,「君の成績で受験を希望するなら,受かると思うので,推薦を認め

ることになったよ。」と電話がありました。

 

まさに万事休す。終わりでした。

 

これがボクの最大の状況的な選択,17歳の話でした。

 

今思い返すとどうであったのかは何とも言えませんが,このような状況的な選択を振り

返ってみて常に思ったことは,『その状況的な選択を覆す(くつがえす)強い意志を』

なぜボクは言うことができなかったのか!?ということです。

 

結論は,自分自身に確信的な自身がなかったからだと思うのですが・・・

 

長くなったので,ココで終わります。

 

ココまでボクの選択と年齢の話を読んで下さり,どうもありがとうございました。


まとめ

・予感的な選択,運命を劇的に変えた選択,状況的な選択について雑に思い返してみま

したが,このようなボクの選択と年齢を見て,一人でも多くの方がご自身の選択と年齢

に生かして頂くことの一助になれましたら幸いです。


特別お題「『選択』と『年齢』」について思い返してみましたが,このことは,誰に

でも迫られる内容になります。一つでも多くの選択と年齢記事に触れ,ご自身の選択と

年齢に役立たせていってください。

 

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